かあさんの一周忌

昨年の今日、私は劇団の舞台公演のため仙台に居た。

客席から熱い拍手をいただき、元気に舞台を務めてはいたが、
劇場を一歩出ると、粉雪まじりの突風に足元をすくわれそうな危うい自分があった。
それは、劇団に入って初めての旅公演に出た時、
雪深い青森でハハキトクの知らせを受けたときの感覚に似ていた。

私が東京を発つ時、山岡久乃さんは重い病の床にいた。
「かあさん(私は山岡さんのことをこう呼んでいる)、一週間だけ旅公演に行ってくるからね、待っていてね」
私のよびかけにそれでもかすかに肯いてくれた、と、思った。
私の希いか、かあさんの想いか、とてつもなく長く感じられた一週間だったが、
「帰ってきましたよ」と枕元で報告する私の声を、かあさんは確かに聞いてくれた。
かすかに瞼が動いた、と、思った。

翌日、山岡久乃さんは、静かに一人で永遠の旅に発った。

山岡さんとの初めての出会いは三十五年前になる。
「女と味噌汁」というテレビドラマでだった。
以来「渡る世間は鬼ばかり」シリーズに至るまでご一緒したテレビ、舞台も数多い。
ホームドラマのお母さんとして日本中に親しまれた山岡さんだが、戦後新劇を興した一員であり、
「青年座」という劇団の創立者の一人でもある根っからの演劇人でもあった。

何事にもひたむきで一生懸命だったが、そういう姿を見せるのは江戸っ子の名折れ
、みたいなシャイなところがあり、それがまたチャーミングだった。

病気になるすこし前、母さんが唐突にこんなことを言った。

「藍子は普段がぼーっとしているから、老人性痴呆症になってもわかりにくくて、発見が遅れるね。」
なるほどそうかもしれないと大笑いしながら私も言い返した。

「かあさんは普段がしっかりしているから、まわりでいくら呆けてきたよと言っても、
私シャ呆けてなんかいない! と言い張って発見が遅れるよね」

せめて、どちらかが呆けるまで生きていて欲しかった。

二月十五日は一周忌になる。

(静岡新聞「窓辺」2000.2.12より)


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